[レトロウォーキング|あなたの街の昭和レトロ]

築約100年。最後の「旧下谷小学校」~1階編~

那覇の商店街のご紹介が続いていたので少々ブレイク・・・


平成も始まったばかりの1992年に閉校した“旧下谷小学校”
長らく北の玄関口、大型ターミナル駅でもある上野駅から徒歩3分圏内に残されていました
本年度の取壊しが決定し、それにともない3日間だけ一般公開されることが決定
先日、太陽が照り付ける中、僕も見学会に参加してきました
今回はそちらのレポートを・・・

ちなみに読み方は「したやしょうがっこう」です
昭和22年に下谷区浅草区が合併し、現在の台東区となりました
“しもたに”って読んでたのはナイショ!



上野は下町と言う事もあり、少々懐かしい雰囲気のある街
しかし目的地である“旧下谷小学校”には蔦が絡まり、周囲とは異質な存在・・・
期待が高まります・・・!



昇降口側と運動場側、両サイドからアクセスが出来ます



3つの出入口の上にはカラフルなステッカーが貼ってありました
変わったデザインですが、何を模したものだろ?



オシャレなカフェの様な案内板です
入ってみましょう



おお・・・昭和感じる凄い空間
左手には来賓者受付用の小窓、そして右手には大きな黒板が
右側の壁は新しく設置されたようですね・・・



いつ頃何のために設置されたんだろ?
閉校後は何かに使用されてたのかな



左手にある小窓です
見学受付時にもらった校内の地図では「主事室」となっていました
主事室・・・?
ちょっと覗いてみましょう



物が撤去されだだっぴろい部屋は少々特徴的な造りでした
小上がりは和室になっていて、管理人さんが宿直で利用してた様な空間です



窓際には流し場もありました
それにしてもさすが学校、シンクと天井の高さがアンバランスであまり日常では見かけない光景



こちらがいただいた1階の地図です
校舎はL字に折れ曲がっていて、1階は教員の使用する部屋と言った様子
校庭に「プール」の表記が見られますが現在はありませんでした



受付はここ「玄関」で済ませました
生徒用の下駄箱がどこかにあったのか気になる所ですね
現在立っている場所は「物置」だったようで、地面には何かをはがした跡があります
カーブしてる梁がと高い天井が印象的ですね


「玄関」から校庭へと抜けることが出来るのですが、
出入口の上には第107回の卒業生の作品が残っていました
ステンドグラス風で綺麗だなぁ



僕を含め、体感150%の人たちが写真を撮っていました笑


「玄関」の壁にはひっそりと当時の面影が
何のプリントだったんだろうな~

ここまででも満足度が高いのに、ここからが本番です
まずは1階を歩いて行きましょう



受付正面から延びている廊下、ここからの写真はマストですね!
階段を数段のぼると突然廊下になるのですが、土足から上履きへの履き替えはどこで・・・?
もしかしたら下駄箱からすのこが渡してあったのかもしれませんね
もしくはここは既に玄関風、上履きゾーンなのかも



右に少しだけ見える階段は2階へのものです
校内には階段が3か所あります



上を見上げるとおびただしい量の配線が蔦の様に張り巡らされていました
しかし壁の色と同じ白となっている為、存在感は薄め



ようやく一つ目の部屋へ入室です、どれだけ見所があるんだか・・・
壁の雰囲気からもお察しのように「校長室」です



入口脇にはド昭和の洗面台!
あずき色がいい感じだゾ!!



しかも赤をひねれば即熱湯!
あぶにゃぁぁぁい!!!



天井近くには歴代の校長の写真や賞状が並んでいたのでしょうね



こちらはお隣の「会議室」
つり下がる蛍光灯がいい雰囲気です
壁が一部木製で、いかにも“教職員が使用する部屋”と言った感じが出てますね



学校の流し場は、手洗い・節水の啓蒙ステッカーを見る場所です



共済ボードには何が貼られていたのかなぁ~
緑のモコモコに画びょうを刺す機会もなくなりましたね・・・



どこを撮っても絵になる旧下谷小学校



さて、こちらは旧下谷小学校の歴史を知ることの出来る「職員室」



奥にはとても立派な金庫が・・・
奉安殿と言うもので、戦前に使用されていたもので天皇皇后の写真と教育勅語を納めていました
近年はどのように使ってたんだろ?



歴代の校長たちの写真と立派な校章
今でもピッカピカに輝いています



近くで見ると結構大きい・・・



昇降口の下駄箱の上に架けられていた時計も飾られていました



こちらは明治29年に作られた校歌です
閉校から数年、そして取壊しも決定し、いよいよ歌われる機会も無くなってしまいそうですね・・・



下谷小学校100年の歩み

明治8年 英信寺境内に創立
明治29年 校歌制定
大正12年 関東大震災により校舎全焼
昭和3年 現在の校舎が完成
昭和11年 創立50周年
昭和17年 プール兼貯水池完成
昭和30年 創立80周年
昭和50年 創立100周年

平成2年 閉校、114年の歴史に幕を閉じる
令和5年 取壊しに伴い、最後の見学会実施

閉校して更に31年も残っていたとは奇跡以外の言葉が見つかりません



チャイムが鳴り響くことは二度とないのでしょう



はて?何やら厳重に立ち入りを拒否している通路がありました



近づいてみて
こちらも右側は新しく設置された壁の様ですね
地図上では右の部屋は「給食室」となっていました



その「給食室」前の開けた空間にも階段がありました
どっしりと構える丸い柱もステキ!



階段下の倉庫は蝶番が壊れ、テープで固定されています



階段のこの存在感、そして手すりの重厚感
昭和3年からここにあります



階段の段鼻はマルっとツルっと加工されていました
生徒たちの上り下りでマルっとツルっとなったのかもしれませんね笑



踊り場から
一段一段が低く、踏み場が広い印象です



タイミングを見計らって撮っているので人が少なく見えますが、実は見学者はたくさんいらっしゃいます笑



画像が上に流れてしまったので再度掲載



廊下を進んだ先にはこちらのお部屋
入口にはワンルームにある様なキッチンがありました



実質ワンルームなんですけどね笑
そんなこちらは「保健室」



あの辺りにベッドがあったのでしょう
窓と電灯と壁の雰囲気がバッチグー!



カーペットが敷かれたお隣は「」と無記のお部屋
こちらにもキッチンがありました
余談ですが棚や換気扇の仕切りで頭ぶつけるんですよね笑
手前の六角形の跡が気になりますね・・・



後付けの扉で仕切られていた「事務室」前の廊下です
上から覗いてみましたが特にこれと言ったものはありませんでした



教室にはもちろん黒板があり、メッセージボードにもなっていました



廊下に残る子供たちの手形!

廊下に残る子供たちの手形・・・



奥へと進んで行きましょう
教室が途切れた場所で床は少し下がります



その脇には3か所目の階段が
至る所がアール造りとなっており、当時の流行りが垣間見れます



並ぶ水道位に高い位置にある窓、



そして黒い手形



ここの空間いいなぁ~!
訪れた人でフアンになった人は多いはず



ああ、素敵な空間・・・



だいすき
左からきて、右の講堂(体育館)へと進みます
階段下だけあってここだけ天井は低め



柱のタイルには補修跡も見られます
100年近く階段を堂々と支え続けていました



床タイルには溝があり、滑り止め効果も期待できますが・・・



履きつぶしたタイヤの様にトゥルットゥルになっていました
廊下の端の部分と往来が多い箇所、残った柄のコントラストが興味深いですね



校庭へと続く出入口もありました



「倉庫」とか書いてあるけど秘密の地下空間があったりするんでしょ!?
な~~んて思っちゃう程、現実離れした空間です



アール、アール、アール
やわらかい印象



突然現れたボロボロの折れ戸
張られた説明書きには、
「元講堂出入口鉄扉:竣工当時の講堂への出入り口の鉄扉です」とあります
どうやら昔、講堂(体育館)はこの扉と繋がっていたようです



外側はこんな感じ
板で封じられた上にコードも張られ、近年では一切使われてなかった様子



ここにあった講堂(体育館)をズリズリとスライドさせて移動させたみたいです・・・すげぇ
あれ、「体育倉庫」と「体育用具室」があるけど何か違いがあるのかな?



講堂(体育館)へと続く道です
長くなってしまったので続きはまた次回に!


《2023年7月探訪》


[旧下谷小学校校舎]
〒110-0015 東京都台東区東上野4丁目7−9